何の競技でも、ドーピングなどの問題で、
スポーツマンシップや、フェアプレー精神が揺らいできている昨今だが、
かつて。その潔いプレーぶりで欧米で人気を博し、
「シミー」の愛称で親しまれた、日本人テニスプレーヤーがいた。
ウィンブルドンでベスト4、全米選手権でベスト8入りを始め、
数々の大会で活躍した、清水善造である。
単に、スポーツ選手としてだけではなく、
人間として優れた姿勢を示す清水の逸話が、数多く残されている。
最も有名なエピソードは、1920年ウィンブルドン準決勝における、
いわゆる、「やわらかなボール」である。
アメリカのチルデン選手と対戦した際、
転倒したチルデンを見て、彼が起き上って打ち返せるような、
ゆっくりとした球を、送ってあげたという話である。
この話は、戦前・戦後の教科書に掲載され、
美談の典型として、人々の記憶に残ることとなった。
これだけではなく、サーブを放ち主審が判定を迷った際に、
ダブルフォルトを自ら申告した試合がある。
その時は、相手もさるもので、その判定に納得せず、
次の清水のサーブのリターンをわざとネットに当て、自らポイントを捨てた。
これだけの活躍を続けた清水だが、
オリンピック出場を果たすことはできなかった。
清水の活躍を、当時の日本オリンピック委員会はロクに知らず、
オリンピック出場を認めなかったからである。
もし出場を果たしていたら、
日本人最初のメダリストになっていたかもしれないが、
本人はそれに対して、公式的に異を唱えたことはない。
チルデン選手との友情は続き、1923年に起きた、
関東大震災の義援金募集テニス大会が、全米各地で行われた時、
共に参加して、日本復興に大きく貢献している。
現在活躍を続ける日本人選手達も、こうした姿勢を見習い、
国際親善に貢献してもらいたいものだ。