日本人女子初の4大大会制覇を遂げた、沢松和子!







かつて日本において、テニスやゴルフは、
裕福な人たちが行うスポーツの、イメージが先行していたが、
テニスの普及と大衆化において、大きな影響を与えたのが、
沢松和子である。


1975年のウィンブルドンにおいて、沢松は、
日系人の、アン清村とペアを組み、女子ダブルス部門で優勝し、
日本人女子選手として、史上初の、4大大会タイトルを獲得した。


後に、姪にあたる沢松奈生子も、プロテニスプレーヤーとして活躍した。


ダブルスでの優勝ばかりが、話題として先行しがちな沢松だが、
シングルスでも、好成績を残している。


全豪ではベスト4、全仏・全米ではベスト8の、最高成績を残している。


唯一、3回戦どまりだった全英で、
史上初の日本人優勝を成し遂げているのは、面白いポイントと言える。


この時期は、衛星中継が始まって間もない頃で、
海外の大会が、録画中継ではあるが、観られるようになった。


決勝戦の模様が、テレビ放送されたことがきっかけで、
テニスブームが、本格的に日本で開花していくこととなる。


加えて、男子テニスでは、ビヨン・ボルグやジョン・マッケンロー、
女子テニス界では、クリス・エバート、マルチナ・ナブラチロワといった、
個性的なスターが、この時期たくさん出たことも、
テニスブームに火を付けたと言える。


沢松は、この年限りで引退したが、
彼女の功績は、たくさんの関係者に刺激を与え、
テニストーナメントや、テニススクールの増加、
ファン層の拡大などに、繋がっていった。


この偉業があったからこそ、後の、
伊達公子や、錦織圭の登場があったのだろう。


一人の選手が切り開いた道が、
後の選手の育成にも、大きな影響を与えるところに、
スポーツの奥深さを、感じずにはいられないのである。