沢松和子の、ウィンブルドン女子ダブルス制覇を、
きっかけに巻き起こったテニスブームだが、一方で、
70年代後半から約10年近くは、日本人選手の戦績は、それほど振るわなかった。
田辺清が、1978年の全仏に出場して以来、
1988年全豪に松岡修造が予選から勝ち上がり、本選出場を果たすまで、
グランドスラムの舞台に、日本人選手が立つことはなかったのだ。
国内でのテニス人口が増え続け、人気が高まった結果、
海外に出なくても十分生活ができるようになってしまい、
知らず知らずの内に、リスクを背負って海外挑戦することが、少なくなっていたのだ。
こういった、新たな壁を打ち破り、
世界への興味を再び取り戻させたのが、松岡修造だった。
海外挑戦を続け、当時世界2位だったス、
テファン・エドバーグに勝利するなど、活躍を続けた。
故障が多いのが玉にきずだったが、それを乗り越え、
1995年に、ウィンブルドンベスト8の成績を残したことは、
称賛されるべきだろう。
何よりも、彼の姿勢によって、若い世代が再び、
世界へ目を向ける契機となったことが、最大の貢献と言える。
現在世界ランキングには、錦織圭、添田豪、伊藤竜馬と、
100位以内に3人が名を連ねている。
これは、現行のシステムになった1973年以来、初めての快挙である。
日本男子テニス界は、過去最強と言ってもいい程の、
陣容に恵まれているわけだが、その中で道を切り開いた、
松岡修造の役割は、小さくない。
ただ単に、熱血な応援をしているだけの人ではないことを、
多くの人に知ってもらいたいものだ。